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スペースRデザイン
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「清川ってどんなまちだろう?住むまちを楽しめると毎日はもっと楽しくなるはず!」
ということで、まちと建物の関係をデザインするスペースRデザインのプロジェクトをご紹介します。


清川ロータリープレイス

清川ロータリープレイス入口
『めぐる、「ひと」「まち」「シゴト」』をコンセプトに、ユニークなシゴトバをつくるプロジェクト。清川リトル商店街の跡地に「清川らしいシゴトバ」を育てていきます。
詳しくはこちらから:清川ロータリープレイス

清川リトル商店街

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「小さなお店の、大きなこだわり」をテーマに、新高砂マンション1階に1坪のモバイルショップで小さな商店街を作りました。(2016年3月~8月)
詳しくはこちらから:清川リトル商店街

清川ぶらりーず

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清川ぶらりーずはまちの小さなファンクラブとして2015年に結成しました(2017年12月解散)。新高砂マンション入居者さんがリーダーとなり、まちあるき(昼ぶら)や飲み歩き(夜ぶら)など、みんなでわいわいおしゃべりを楽しみながら清川の魅力を発掘しました。
活動の記録はこちらから:清川ぶらりーずの記事一覧

清川のまちってこんなとこ!

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オーナーが振り返る
新高砂マンションがあるまち”清川”の変遷

<昭和30年代(1955~1965)>
 この地は以前「新柳町」と呼ばれ、昭和30年頃まで九州を代表する数百年の歴史を受け継ぐ遊郭街でした。法規制により遊郭の歴史が終えても、福岡随一の繁華街としてのまちの役割は変わりませんでした。

 私の幼い頃はそばにある「キャバレー月世界」に多くの人が訪れ、遊郭から旅館へコンバージョン(用途変更)された宿には、仕事や修学旅行など大勢の客が宿泊し、昼は貸切バスが走り回り、夜は泊まり客がゆかたと下駄で“そうつき回る(うろうろする)”大変な賑わいのまちでした。

 そして、私が生まれたのはその中心地にあるロータリー横の「・・楼」改め「いずみ荘」。もともと農家の父の家に米軍機が墜落するという死傷事故にあい、家を失った一族を食べさせるために苦労して旅館を始めた昭和38年頃から記憶が始まります。

 月世界のステージにはスターが毎日のようにやってきて、特別の記憶は超人気グループサウンズ「ブルーコメッツ」がうちにやってきたシーンです。400人ほど泊まれる旅館には100畳の大広間があり、修学旅行などお客さんが多い時は子供ながら配膳を手伝っていました。広間が空いている隙を狙っては春吉小の同級生と広間で野球をするほどでした。そこで、ブルーコメッツがミニコンサートをしたのですが、その時の昭和10年代生まれおっかけ女子たちが大勢つめかけ、興奮する姿を見て幼い私が怯えたのは仕方がない話ですね(笑)。また、中庭では錦鯉が泳ぐ大きな池の中に苔むした御社、その池をまたぐ月見橋に竹林と風情ある純和風旅館で、今残っていれば歴史的建築物でした。

 いずみ荘も大きいほうでしたが、このようなすごい建物はまちのあちこちに建っていました。今でも、町内に残る那珂川沿いの料亭「三光園」は当時のまちの面影を知れる代表的な建物です。このような目線でまちを見なおすと、まだまだ遊郭建築の名残を発見できるのも清川ならではのまちの楽しみ方ではないでしょうか。

 このように清川は、高度成長期における福岡で大きな役割を果たしたまちと言えます。

<平成期(1989~現在)>

 そんなまちもバブル以降大きく変わり始めました。地上げで歴史的な建物は壊しつくされ、まちの人たちは離れていき、まちはスクラップ&ビルドで作り変えられました。博多駅・天神に等距離で近い交通の便利さから、住まいの場所として見直されたのです。それによって容積率いっぱいのマンションが建ち、九電系の本社ビル・FM福岡や民放FBSの本社ビルなどオフィスビル群がまちのニューフェイスとなり、それとともにオシャレなオーナーシェフ系のこぢんまりとしてステキな飲食店も次々に現れています。そのため、芸能人を見掛けることも多く、私がたまに行くお店にはオスギが来たりしています。
また、コンパクトシティ化のため、町内も人口も増えていますが、それにともなって春吉小学校の生徒の数は横ばいから増え始めているようです。

 一方で、清川の顔である博多人形販売の「人形のごとう」の後藤さんや、手づくり博多包丁で有名な鍛冶歴50年以上の「大庭鍛冶工場」の大庭さんなど、何代かにわたって博多の文化を引き継ぐ人たちもこの町内で活躍されています。その中で、最近まで旅館をされていた「若鶴荘」は店舗&賃貸「Lassic(ラシック)」に早くからリノベートされ、福岡のリノベーション史上とても大切な建物もこのまちから生まれました。最近になって、新高砂マンションのお隣さんも、古い倉庫が店舗&住居へ、古民家がギャラリーへとリニューアルされ、清川は「リノベーション タウン」としての新しい顔を見せ始めています。

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▲(左)清川の路地(中)隠れ家的な店舗も見られる。(右)近くを流れる那珂川。

 


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