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新高砂マンションの生い立ち

リノベーションミュージアム新高砂マンション外観建築当時、日本は高度成長期で、全国的に近代的住宅を増やすために日本住宅公団がマンションなどの共同住宅建設を推進している時期でした。同じ春吉小学校区の渡辺通1丁目にはサンセルコ&ホテルニューオータニが福岡市の都市部大型再開発の第1号として大変な話題のスポットとなっており、福岡市の近代化政策として注目されたまちだったと言えます。

そのなかで、本物件は福岡の民間公団政策のモデルともいえる案件であったため、相当に力が入れられたようです。起工式には、自民党元副総裁の山崎 拓氏が鍬入れ式がおこなわれたほどです。書類の中には当時の日本住宅公団総裁とのいかめしい契約もなされています。

ところが問題が起こります。商業地区にもかかわらず、近隣から日照権をかさに反対運動がなされました。ずっとこの地で旅館業をしていた会長の英断で建築計画を泣く泣く縮小することになりました。ところがそれが幸いしたのか、広い土地を活かすためのアイデアが新しい設計にふんだんに盛り込まれ、それが今では本物件の強力なチャームポイントになっています。

ユニークでありながらゆったりとした部屋の間取り、広いながらもプライバシーが保たれた中廊下型の共用廊下、美しい雁行型の建物レイアウト、70年代を象徴するスペイシ-で開放的な廊下窓のデザイン、バルコニーの可動式ルーバー。これらが相まってビンテージビルになり得る要素を獲得しています。もし、これが容積率いっぱいの建物であれば、利回り優先型のビルにありげなどこにでもあるデザインで窮屈な建物になっていたのかもしれません。


新高砂マンションのまち清川[昭和30年代]

この地は以前「新柳町」と呼ばれ、昭和30年頃まで九州を代表した数百年の歴史を受け継ぐ遊郭街でした。法規制により遊郭の歴史が終えても福岡随一の繁華街としてのまちの役割は変わりませんでした。

私の幼い頃はそばにある「キャバレー月世界」に多くの人が訪れ、遊郭から旅館へコンバージョン(用途変更)された宿には、仕事や修学旅行など大勢の客が宿泊し、昼は貸切バスが走り回り、夜は泊まり客がゆかたと下駄で“そうつき回る(うろうろする)”大変な賑わいのまちでした。

そして、私が生まれたのはその中心地にあるロータリー横の「・・楼」改め「いずみ荘」。もともと農家の父の家に米軍機が墜落するという死傷事故にあい、家を失った一族を食べさせるために苦労して旅館を始めた昭和38年頃から記憶が始まります。

月世界のステージにはスターが毎日のようにやってきて、特別の記憶は超人気グループサウンズ「ブルーコメッツ」がうちにやってきたシーンです。400人ほど泊まれる旅館には100畳の大広間があり、修学旅行などお客さんが多い時は子供ながら配膳を手伝っていました。広間が空いている隙を狙っては春吉小の同級生と広間で野球をするほどでした。そこで、ブルーコメッツがミニコンサートをしたのですが、その時の昭和10年代生まれおっかけ女子たちが大勢つめかけ、興奮する姿を見て幼い私が怯えたのは仕方がない話ですね(笑)。また、中庭では錦鯉が泳ぐ大きな池の中に苔むした御社、その池をまたぐ月見橋に竹林と風情ある純和風旅館で、今残っていれば歴史的建築物でした。

いずみ荘も大きいほうでしたが、このようなすごい建物はまちのあちこちに建っていました。今でも、町内に残る那珂川沿いの料亭「三光園」は当時のまちの面影を知れる代表的な建物です。このような目線でまちを見なおすと、まだまだ遊郭建築の名残りを発見できるのも清川ならではのまちの楽しみ方ではないでしょうか。

このように清川は、高度成長期における福岡で大きな役割を果たしたまちと言えます。


新高砂マンションのまち 清川[平成期]

そんなまちもバブル以降大きく変わり始めました。地上げで歴史的な建物は壊しつくされ、まちの人たちは離れていき、まちはスクラップ&ビルドで作り変えられました。博多駅・天神に等距離で近い交通の便利さから、住まいの場所として見直されたのです。それによって容積率いっぱいのマンションが建ち、九電系の本社ビル・FM福岡や民放FBSの本社ビルなどオフィスビル群がまちのニューフェイスとなり、それとともにオシャレなオーナーシェフ系のこじんまりとしてステキな飲食店も次々に現れています。そのため、芸能人を見掛けることも多く、私がたまに行くお店にはオスギが来たりしています。

また、コンパクトシティ化のため、町内も人口も増えてますが、それにともなって春吉小学校の生徒の数は横ばいから増え始めているようです。

一方で、清川の顔である博多人形販売の「人形のごとう」の後藤さんや、手づくり博多包丁で有名な鍛冶歴50年以上の「大庭鍛冶工場」の大庭さんなど、何代かにわたって博多の文化を引き継ぐ人たちもこの町内で活躍されています。その中で、最近まで旅館をされていた「若鶴荘」は店舗&賃貸「Lassic(ラシック)」に早くからリノベートされ、福岡のリノベーション史上とても大切な建物もこのまちから生まれました。最近になって、新高砂マンションのお隣さんも、古い倉庫が店舗&住居へ、古民家がギャラリーへとリニューアルされ、清川は「リノベーション タウン」としての新しい顔を見せ始めています。

新高砂マンション リノベーションの歴史

昭和レトロの風情を残す清川の象徴「清川ロータリー」。幹線道路で実際に利用されているロータリーは県内でもほとんどない稀な存在ですが、そこに面して「新高砂マンション」は堂々と建っています。1977年いずみ荘を建替え、この地区でも最初のある程度の規模の賃貸マンションとして産声をあげました。しかし、当初は最新設備の人気物件も、私が吉原住宅に入った2000年頃には老朽化に伴う空室が目立ち始めました。そこで、まだリノベーションという言葉さえ無かった福岡で、築27年になる2004年から、空室が出るたびに部屋のリノベーションを続けたことで、現在では58室中37室が全く異なるデザインとリノベーションコンセプトの作品として、今では建物一棟が「リノベーションのミュージアム」となっています。

唯一無二の部屋のドアを開けた瞬間、新しい空間の表現に夢を抱いてもらえることでしょう。古い時間と新しい時間を融合させること、新たな価値を付加することで、空間びどれだけの魅力が与えられるのか、この建物で体感して頂きたいのです。

そのなかで私たちは、古い建物だからこそ、古き良さを大切にする、良き人たちに集まって頂けると信じています。感覚を共有する人たちが集まる建物では、自然につながりや安心感や楽しさが熟成できるはずで、それは、福岡の社会問題である都心型のコミュニティづくりの基本にもなると考えています。

2008年に外壁改修・配管改修、2013年エレベーター改修などの大規模改修を終え、2011年にはなんと耐震補強をも完了しました。築100年を目指す建物では、進化が止まることはありません。そのために10年間にわたり、様々な構想から生まれた37室は、福岡の賃貸リノベーションの歴史そのものであり、新高砂マンション一棟が今後のリノベーションと住まいのあり方を予測するための壮大な実験の場でもあります。

この未来のビンテージビルから生まれた私たちの「ビルストック活用」の思想と「ビンテージビルでまちづくり」のビジョンは、この建物がモデルでありその輝きが、すばらしい入居さんたちはもちろん、全国からの頻繁な研究者・まちづくりの人たちを視察に引き付ける魅力として放たれているのではないでしょうか。

こんな新高砂マンションで、自分のペースはくずさず、古い心地よさが自分らしい気分を高めてくれる粋な空間を、是非のぞいてみてください。
新高砂マンション エントランス 新高砂マンション エントランス 新高砂マンション エントランスから見上げる 掲示板 ポスト 共用部 廊下 共用部 廊下 共用部 廊下 エレベーター 新高砂マンション エントランス 外観 外観 エントランス 清川ロータリー
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